シリーズ 図書館に思う
システムとプログラム
息子が中学生1年になった。妻のすすめで、息子の教科書を眺めているとコンピュータは技術・家庭の教科書にのっていた。なつかし BASICプログラ ムの例題が書かれていた。そこから、妻とプログラム談義が、続いてしまった。
昔は、MS-DOSがOSの時代には、BASICのプログラムは標準的に入っており、マニュアルや本を見ながら、興味のある人は、 プログラムをつく ることができた。
しかし、今の主流のWindowsパソコンやMACでBASICというソフトが標準的に入っていることもなくなった。MS-DOS などで見られた batchコマンドといったものも、見られなくなった。コンピュータは、よりユーザーフレンドリーになり、身近なものになってきた が、同時に、コンピュー タを説明することが、難しくなってきた。
コンピュータの高等機械への進化ということとも言えるかもしれない。アメーバのような図一枚で、人間を説明出来ないように、コン ピュータも、誕生当 時の姿を簡単に図式ことで、現在のコンピュータを説明できなくなっているのかもしれない。
さて、コンピュータも自立的機能が、充実してくると、人からの介入を避けたくなるという生物的進化(人間もそうかもしれない。赤 ちゃんから幼児への 変化)が起きているのかもしれない。
いまや、教育でどう教えようとも、一般の人が、何気なくプログラムを創ったりすることは、もはやできない環境になのだ。中学や高校 の教科書に BASICのプログラムのっていても、最新コンピュータ環境で、それに触れることはむずかしい。
それに変わるものがあるかというと、なかなか良い案がないというのが、実態であろう。教職を目指す人は、BASICを理解すること が、必須だとき く。教育の場では、BASICは、健在なのである。
コンピュータの生物的概念の類似性は、いくつか見られる。
生物学では、一生涯における生物の心拍数は、生物の種を問わず一定という法則が提唱されている(ぞうの時間、ねずみの時間)
ねずみの寿命が、短命なのは、心臓の心拍数が早いからあり、ゾウの寿命が長いのはゾウの心臓の心拍数が遅いからです。
昨今のコンピュータのCPUクロックの増加とコンピュータの1生涯の寿命に、生物学理論が当てはまるようにみえる。コンピュータの 1生涯における短 命化はコンピュータの進化上、必然であるといえるのかもしれない。