黒 澤公人の 図書館に思う 読まれた本はどこへいくのか

「一次情報ダイレクトアクセス」時代、「検索即閲覧」時代のドキュメンテーションシステムのあり方を考える。

黒澤公人のシリーズ図書館に思う

読まれた本はどこへ行くのか 


人間が何気なく、ハンドリングできるものの数は、20ぐらい。それを、超えだすと,整理技術を持ち出したくなる。
一年間にどのくらいの本を読みますか。そして、家に、どのくらいの本がありますか。
10年、20年の月日が経って見ると、本が、あちらこちらに積まれている現実に気づく。一応、きちんと、置かれたいた、本が子供たち によって、引き出さ れ、ぐちゃぐちゃになっていく。

壊れた機械をとっておくこと,はあまり、しないが、一度、読んだくらいでは、本は壊れたりしない。
そして、本は、どこに行けばいいのか.
家で、いる場所もなく、邪魔者扱いされて、古本屋にもっていっても、金になる本は限られている。
図書館も満杯で、本を、寄贈しようといっても、迷惑顔である。

本が行く場がない。

出版や本を、テレビや雑誌で語る人たちは、その背景にりっぱな本棚や書斎が見え隠れしているが、多くの人にとって,読んだ後の行き 場のない図書に困 り果てている。

本にも安住の地があれば、もっと、本が、動き出すかもしれない。
しかし、出版社にとっても、売れ残った本には、こまり果てているのだ。

出版された本たちに、安住の地を与えることは、できないのだろうか。
本当に、必要な安住の地と、そして、その使命を終えて、新たな役割を保証してあげる必要があるのではないか。