黒澤公人のProject L
第1回 DOBIS/LIBIS
その誕生の地は、ヨーロッパ。DOBISは1976年 当時の西ドイツ DORTMUND大学で誕生。LIBISはベルギーの
LEUVEN大学で生まれこ
の二つのシステムは統合され、DOBIS/LIBISとして世界中に広がった。当時の隆盛を極めたIBMのメインフレーム上で動いて
いた。
日本での本格運用は、数年の導入準備期間(日本語化という改良作業)を経て、1989年に早稲田で本番稼動となった。1998年早稲
田がその利用をやめ た。しかし、まだ、日本でも、海外でも広く使われている。
DOBISは、その当時、画期的な発想の転換をもって、大量のデータを効率よく収納し、オンラインで利用できるかを考えたシステムで
あった。それゆえ、一 つの傑作と呼ぶにふさわしいと私は思っている。
現在は、ディスク容量も潤沢になり、データベースマネジメント技術も発展し、通信技術も、これほど、自由になってしまったが、当時
は、IBMがもっている 最高の技術を、集約したシステムの登場であった。
その誕生から、さまざまな改良を加えられ、発展してきた。しかし、現在、コンピュータ自体の変化、ネットワークの変化に対応すること
は、なかなかむずかし く、日本IBMがサポートを停止している現在、その発展は、厳しいものがある。
図書館システムは、いつも、最高水準の技術を、常に必要としている。そして、今もなお、図書館の求める水準に図書館システムは追いつ
いていないの現実であ る、多言語の問題、文法解析の問題、読みの問題など、今なお、不満が残るのである。
だから、DOBISが時代の要求に応えていないということは、言えないと思う。むしろ、当時の最技術を先取りした故に、長く君臨した
システムであり、今な お、根強い人気を持っているシステムである。ただ、日本に来るのが、10年遅すぎたといえるのかもしれない。
日本では、早稲田大学が、最初に日本に導入したイメージがあるが、最初に、DOBISを日本に導入したのは、JICSTの資料管理シ
ステムである。 JICSTが収集する膨大な雑誌管理をさせるという使い方をしている。
改めて、資料を探してみると1980年7月に、DOBISを資料管理システムとして導入している。その詳細は情報管理
23.NO.9,NO.10に掲載さ
れている。記憶を頼りに、1980年代後半の資料を探していた私であったが、1980年にその稼動があったとは、改めて、驚きを覚え
た。この当時、日本の 大學図書館に本格導入することができたら、また、ちがった評価が下されたことと思う.
どうして、その時点で日本に普及しなかったかといえば、日本IBM内で、ほとんど注目されることがなかったことによると思われる。
早稲田の導入決定に、日本IBMも本腰を入れて販売することになった。JICSTは当時日立のシステムを利用しており、日本IBMと
は、無縁な状態でシス テム開発を行った。その開発に、3.5年を要している。
早稲田では、あまり、雑誌管理システムが機能していなかったと聞くが、JICSTが、雑誌の資料管理のみに注目したことを考えると、
DOBISには、2つ
の側面があるといってもよいのかもしれない。その後、JICSTの資料管理システムがどのようになっているかは、判らないが、かなり
の期間使われたので は、ないかと思われる。もしかすると、まだ、現役で使われているのかもしれない。
DOBISの逆転の発想は、限られたディスクスペースに、大量のデータをどのように収納するかという問題であった。図書館システムは
実は、索引のお化けと
いっていいほど、たくさんの項目を索引化している。一つのデータが、索引化によって、実に、もとのデータの何倍もの索引を生み出して
します。これを、統合
的に、逆転した発想で、もともととして保存するのではなく、各項目を索引データに分解して格納し、元データを索引データの組み合わせ
で再現するという発想
で造られている。それゆえに、ディスク容量は、劇的に少なくなり、同時に、索引分解された項目が一致していれば、新しいデータを生成
しないという原理に なっている。
つまり、赤川次郎が、1000冊の図書を出版しても、DOBISの中で、赤川次郎という著者項目は、物理的に一つしか存在しないとい
う構造になっている。
新規の図書データが1000バイトあっても、そのデータ分が、既に、既存の項目があれば、データとして登録されることがないのであ
る。
この管理技術を、当時最新技術であった、索引ファイルという技術の組み合わせで成し遂げたのである。
この索引化技術で、DOBISの代表的な索引 KWICをオンライン上で実現したのである。
DOBISが日本にもたらした影響は非常に大きいものがあると私は思う.
結果的に、早稲田と慶応にDOBIS(慶応ではKOSMOSと呼ばれたが)が導入されたことによって、日本が学情フォーマットの一色
に染まっていく中、
USーMARC、JP-MARCの形態を維持されたことである。このことは、10年後に再評価されるべきことであると思う。他の
DOBISユーザーはUS
-MARC/JP-MARCを維持しているとしたら、幸いなことであるが、現在、ほとんどのデータが学情(現:国情)依存している状
況では、US- MARCといってもあまり、価値がないのかもしれないが。
この2大学は、現INNOPACへの道を、KOSMOSIIへと歩みを進めたが、その両者も、US-MARCの構造を引き継いだ。そ
れも、DOBISあれ ば、こそである。
早稲田に引き続いて、多くの図書館が導入し、かならずしも、順調に運用できたわけではないことも聞いている。
しかし、DOBISが日本の図書館システム、および、世界の図書館システムに与えた影響の大きさを否定することはできない。
日本でも、DOBISの後継を目指したLS/I、IBMvisionが、MARCの流れを汲んでいることも無視することはできないこ
とではないかとおも う。