黒 澤公人の 21世紀の図書館学 コンピュータ幻想

「一次情報ダイレクトアクセス」時代、「検索即閲覧」時代のドキュメンテーションシステムのあり方を考える。

シリーズ  21世紀の図書館学 コンピュータ幻想



            電子出版   
            コミュニケーション
            電子メール  書き言葉の消滅  すべてが、話言葉の文字列の出現
                     (文章というべきか不明の文字列群)
            音だけで文章をつくれるのか。(ローマ字で入力する現実。)
                  ワープロの功罪  日本語を音の文字列のみで入力する。
                              漢字の消滅
                  携帯電話の功罪 ノートとペンと時計の消滅 その概念さえ今はない。

            Word  世界の文章を、Word が支配した。 語 が 文章をつくるのか。
                 日本語 は、 Word に駆逐されるのか。(Word という ワープロソフト 語 を並べるソフト)

            日本の活力を奪ったものは、不良債権
            いや、そうではないのかもかもしれない。
            コンピュータ技術に、日本語を委ねて、無理やり押し込めたことによって、
            日本的思考回路が途切れたかもしれない。
            大いなるコンピュータ幻想に、人間の思考を委ねてしまうことによって、思考停止が発生した。
             (そんな単純なことと言えるのだろうか。)
            文章を必死になって考えることが必要とされ、ものすごい集中力が必要だった時代から
            言葉を並べることによって、生まれる文章への変化
            そのことによって、得たものも、多いかも知れないが、多くのものを失ったに違いない。
            その失ったものの大きさを測ることはできないのかもしれないが。
            失われたもの。それは、密かに消えゆく。何が失われたのかの痕跡も残さずに。

            一太郎が Word に負けた時。
            日本語を外国の会社に委ねること。
            日本語というものを日本はどのように考えるべきなのか。

            例えば、日本国として、標準日本語ワープロソフトを作るべきではないか。
            漢字の読み、カタカナの使い方、氾濫するカタカナ語の意味をフォローするソフト
            まるで、アンチウイルスソフトのように、日々発見されるウイルスを随時パソコンに
            ダウンロードするように、日々発生するカタカナ語をフォローするワープロは出来ないのか。
            たとえば、標準日本語使用に合わない 漢字の読みなどは、なんらかのマークをつけるとか。

            日本の活力を取り戻す方法
                 日本国としての日本語ワープロの策定
                 コケも十分生した国歌をもっと、元気の出る国歌に変えること。
                 当用漢字制限を撤廃して自由な日本語を取り戻すこと。
                 (まあ、考えてみれば、当用漢字という考え方も日本語を捨て去るという考え方の
                  上に成り立っているかが。)