黒 澤公 人の 面白図書館学 当用漢字の悲劇

「一次情報ダイレクトアクセス」時代、「検索即閲覧」時代のドキュメンテーションシステムのあり方を考える。

シリーズ 黒澤公人の面白図書館学 当用漢字の悲劇


日本語から漢字をいつかなくそうと、日本は考えている。しかし、当分は、漢字を使おうとして決めている。
とくに、この縛りは、一般日本人のもっとも目にする、マスコミ(新聞、テレビ、週刊誌など)に規制がかかっている。マスコミが、当用 漢字以外をつかっては ならないと、決まっている。

この決まりは、当時、実に便利であった。なぜなら、緊急を要する マスコミの世界で、当用漢字の数の活字があれば、新聞をつくること ができ、その出来を、 とやかく言われる筋合いはないからである。

現在、会社の倒産などに使われる 破綻の文字を、新聞、テレビなどで、見ることをできない。
それは、使えないからである。

しかし、現在は、コンピュータからどんどん、活字(フォント)を繰り出すことが可能になった時代になっても、マスコミのおける 当用 漢字の縛りは大きい。
この 破綻の漢字、満足に使うことが許されない マスコミは、現在、活字文化の中心的存在を担っていることは、皮肉なことである。
かつての鉛の活字の呪縛から逃れられないように、活字文化を背負わざるを得ないのである。

しかし、現在、これほどまで、自由に漢字を使うことが出来るようになって、有名ベストセラー作家(京極夏彦氏)あたりが、つぎからつ ぎへと、現代の活字文 化を楽しんで、読めないようなタイトルをつけて、ヒット飛ばしているのに、活字文化の担い手は、自らに掛けられた 当用漢字の呪縛か らのがれられずに、” ひらがな”を使うという屈辱に耐えているのである。
それは、活字文化の破たん それとも、破綻でしょうか?