黒 澤公人の コーヒーブレイク 読みを巡る諸問題

「一次情報ダイレクトアクセス」時代、「検索即閲覧」時代のドキュメンテーションシステムのあり方を考える。
黒澤公人のコーヒーブレイク  よみをめぐる諸問題について


日本語にはよみに関するルールは存在しない。
よみとは、日本語文法の範囲外で取り扱われているのではないか?



Hepburn これは、ヘボンです。これは、(オードリー)ヘップバーンです。
日本語において、よみとはなにか。
これは、非常に興味深い問題である。
英語などでは、綴りは、音を表してしまうので、文字から、とんでもない音を連想することはできない。
しかし、日本語は、字と関係なく、あらゆるものに”よみ”をつけることが可能だ。電話番号にも、よみをつけることすら、許されている 言語なのだ。
漢字に、英語のよみを振ることもできる。

しかも、自由自在につけてよいらしい。

ヘボンやヘップバーンに例を取ることもなく、現在、世界中で注目されているおり、ニュースの毎日のように登場する テロの首謀者と よばれる人の名前 を、国内4大新聞は、バラバラなのである。
朝日新聞は、ラディン
読売新聞は、ビンラーディン
日経新聞は、ラーディン
毎日新聞は、ビンラディン
と四社四様で、平気につかっており、それを改める気配もない。
なぜ、このような自体が発生し、調整することができないのであろうか。
実に、この実態は、情報を扱うものとして、なにかが、欠落しているのではないかと思うわれる。
10年後、この名前で新聞データベースを検索したとき、いったい、どうすればよいのだろうか。
この首謀者の名前は、ウサマなのか、オサマなのかも、分かれている。
タリバンなのか、タリバーンなのか、それも、わかれている。
日本における、言語感覚のとんでもない意識が見え隠れする。

実は、海外の言葉を、日本語よみに変換する基準がない。
毛沢東を、平気で モウタクトウ と発音できる感覚にも似ているかもしれない。最近まで、韓国の人の読み方も、この方法をとってきた が、最近は、できるだ け、その国で、発音されている読みにすることになってきたが。

読みなど、どうでもよいらしい感覚もあるのではないか。

源綴りも、海外の言葉は、一向に変化してないのに、日本の言葉だけが、奇妙に変化している。それも、意味があって、変化しているの かも、いっさい不 明のままである。
ルネッサンスということばが、最近、ルネサンスといわれるようになってきている。なぜだろうか。似たような例はいくらでも存在する。

なぜ、日本の中だけで、急速に言葉が変化しなければならないのか。
それも、気になるところである。

読みという言語感覚も人類史上、なかなか珍しい感覚にはちがいない。
だから、大事にすべき感覚かもしれない。
 


こんな読みもあります。

イキル チカラ ガ アブナイ
社会力(いきるちから)が危ない!

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 人が変われば会社が変わる!その具体的なアプローチ

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