黒 澤公人の Project L UTLASについて

「一次情報ダイレクトアクセス」時代、「検索即閲覧」時代のドキュメンテーションシステムのあり方を考える。

黒澤公人のProject L  UTLASについて


書誌ユーティリティーの設立年

OCLC   1967年
UTLAS   1971年
WLN    1974年
RLIN    1978年
学情    1986年  分担目録は1984年から


日本において、学術情報センターが、サービスを開始するまで、電話回線やインターネット回線を利用しての分担目録を行うのは、海外の 書誌ユーティリティし か存在しなかった。ICUが日本で最初のユーザーとなったUTLASについて、記録しておきたい。
日本に学術情報センターが発足する1986年とは、OCLCから20年 UTLASから15年の時間の差が生じている。その差は、埋 めがたい大きな時間差 であったにちがいない。しかし、この時間差は、コンピュータが日本語をどのように表現できるのかという、言語への格闘の時間でもあっ た。

UTLAS 今は、この名を知る図書館員も少なくなったにちがいない。この名は、いつしか、日本の大学図書館の表舞台から静かに消 えていってしまっ た。
それを、現在のとどめるものは、ICUの洋書のデータにつけられた、書誌番号とそのデータ群なのかもしれない。


UTLASには、壮大な夢があったように思う.1970年代、1980年代。各図書館がもつことのできるコンピュータの容量は限られ ており、大量のデータ をもつことはできなかった。世界中で出版されるデータを持つことなんて、途方もない夢であった。それなら、そのデータをすべて管理し ようとする夢を実現し ようとしたのが、UTLASだった。UTLASは、巨大書誌データを共有データとして持ち、個々の参加のデータも、その図書館固有の データのまま、もつこ ととした。そのため、幾何級数的にデータ量が拡大していく。そのことに対応したシステムを持つために、タンデムというコンピュータを 採用していた。タンデ ムと呼ばれるコンピュータは、ディスクの二重化構造をもち、システムダウンが起きないという構造をもつシステムであった。そのため、 銀行のシステムなどに 使われれていた。
しかし、もう一つの特徴は、システム拡張をどんどんできるというものであった。一つに基本システムが一杯になると、新しいシステムと 追加すると、いままで のシステムと追加システムは一つのシステムとして機能していくので、一杯になるたびにシステムを拡張できるというハード的特長ともっ ており、今後、増えつ づけるデータ量にも対応できる体制をもっていた。
また、日本での利用が活発になると、日本語化対応、韓国語対応といったシステムと拡張していった.

日本語とコンピュータの関係を日本ですら、今尚、しきれていない現実を前に、日本語対応の本格目録システムとしては、途方もない苦労 があったことは、想像 に難くない。日本の正規化されにくい部分への対応は、今尚、コンピュータ泣かせでもある。


国際基督教大学でも、端末専用電話線を確保して、電話の受話器をモデムのマイクとスピーカーに押し当てて、通信するという方式(いま では、考えもつかない 方法ですが) 300ボーというレートで、 専用海底ケーブルで、太平洋を横断しつつ、アメリカ東海岸に上陸し、アメリカ国内を北上 し、カナダのトロント 大学まで、目録を作成するために、電話をかけていたのでした。どのくらいの電話料金を支払ったことでしょう。でも、そうやって、世界 中の人たちが、目録作 成のため、OCLCやUTLASにかけたものでした。
DAILOGなどという検索も、検索時間が、料金に大きく跳ね返るので、検索を、短時間にすばやくできるのかというのが、当時は切実 な課題でした。その意 味でも、目録のプロしか、UTLASにアクセスでしませんでした。

1991年、国際基督教大学図書館も、目録をサポートする図書館システムの導入に踏み切りました。それまでの既存の簡約データに対 して、カナダか ら,MTで送られてきたデータを取り込んで、新図書館システムがスタートしました。当初は、洋書の多くが、きちんとしたデータが生成 されていたのに、引き 換え、和書の遡及はほとんどできてないというありさまでした.
当時、UTLASのJAPAN-CATSSで作成した数万程度のデータがあるだけでした。
そこで、国会図書館のMT、JBISCが、発売されるとそれをもとに、和書の遡及作業が急ピッチで行われたのでした。

UTLASでは、こちらで作成したすべてのデータを保存管理されていたので、洋書の目録担当者は、図書館システム導入後も、その図 書館システムの目 録作成機能を一度も使うことはありませんでした。すべて、UTLASのデータに遡り、修正し、データを作成して、デーたを取込んでし ました.そして、 UTLASサービス停止の話が1998年に飛び込んできました.
個々の図書館が、自前でデータを管理できる時代になり、なによりも、Z39.50のようなデータをどこからでも、取込める環境が発展 してくると、マスター ファイルに加え、参加館のデータを重複して管理するという、壮大な夢は、現実的ではなくなってきたのは、ないかと思います.
日本にいた多くのユーザーも、学情システムの運用がスタートすると、そちらの利用がおおくなり、だんだん、UTLASの利用者も少な くなっていきました。
199年12月 日本の代理店がサービスを打ち切りとともに、日本での利用はできなくなりました.その後、UTLASは、A-G Canada社に移管された。


そのため、国際基督教大学図書館では、UTLASで作成、管理してきたデータを、独自に管理する道をえらび、図書館システムとは別個 にあたらな目録管理シ ステムと導入し、維持管理を行っている。
そこには、LCタグによるデータがいまなお、管理されているのである。