黒 澤 公人の Project L Z39.50

「一次情報ダイレクトアクセス」時代、「検索即閲覧」時代のドキュメンテーションシステムのあり方を考える。

黒澤公人のProject L 第3回 Z39.50 1979年


Z39.50 世界の図書館の結ぶ 壮大な夢への出発 1979


開発史 

1979 年 Linked Sysytem Project
1984 年 最初の提案
1988 年 Z39.50-1988 (第1版)
1990 年 Z39.50 利用者グループ(ZIG)発足
1992 年 Z39.50-1992 (第2版)
1995 年 Z39.50-1995 (第3版)

(情報の科学と技術 上田修一 Z39.50の可能性 v.48 no.3 (1998) p127 より)


この技術は主に2つのことを目指していた。
(1)利用者インターフェースの統一
   当時、システム毎に情報検索方法がバラバラであり、利用者は、システムごとに、検索方法をマスターしなければならにとという課 題を抱えていた。デー タベースの多くなり、検索手段も豊富になってくると、たくさんの方法を覚えることも、教えることも困難になってきた。そこで、 Z39,50技術を使うと、 あらゆる検索システムが、同一方法で、検索可能になる。
 しかし、このような努力を、あざ笑うかのようにWeb技術の登場に、きっと、z39.50の開発者たちと、驚かせたにしがいない。
このWebの登場によって、検索画面が、かなり、使いやすいものに変化しかたらだ。そのことは、一見,システムの共通化が起こったか のような錯覚を起こさ せる。
日本では、不幸にして、TelnetによるOPACが十分発達しないまま、Web-OPACに突入してしまったため、ユーザーイン ターフェースとしての Z39.50思想を理解する機会が失われた。
(WebによるOPACとう手法は、UNIXをベースにしたシステムにとって、省資源で、たくさんのユーザーに情報を提供できる手段 であるため、急速に利 用が促進された。)

(2)データの統一、検索システムの統一
  ユーザーインターフェースの統一は、実は、副次的産物に他ならない.
  もっとも、重要な概念は、データの統一であった。日本では、現在まで、ついに書誌ユーティリティーというシステムが登場すること がなかった。もしかす る、その登場すべき時期は失われ、今後、登場することはないのかもしれない。(国情(旧学情)を、どのように意味付けるかによって、 書誌ユーティリティー としてみなすこともできるかもしれないが、ここでは、その見方を取っていない。)
しかし、アメリカでは、OCLC、RIN、カナダではUTLASなど、次々と登場した。1970年代、1980年代、インターネット が、一般に普及する前 は、電話回線によるデータの利用が盛んに行われた。日本でも、遠く海外のデータを求めて、高額な電話回線を経由してデータの取り込み 作業を行った図書館も 多い。
一つの書誌を多くの図書館が共有するという考え方は、図書館の目録作成に大きな威力をもち、コンピュータ利用以前のデータを遡って入 力するという気の遠く なるような作業にも、強力な財産となった。
そのような現実の中、データを、互いに共有するという考え方は、当然な成り行きでもあった。

現在、海外で広く使われているフォーマットは、インターネットの中も、Z39.50プロトコルによって、行き来をしており、検索され たデータはそのまま、 そのシステム内で加工、編集、再利用可能な状態で、使われる。
Webでは、いろいろデータが加工されているため、そのまま、再利用できるということは、難しい。
現在、この採用可能フォーマットで、日本語の図書データも膨大な量流れていることも、想像に難くない。
たしかの日本では、Z39.50フォーマットでデータは流れることはほとんどない。しかし、日本語データ、中国、韓国語データが、共 通フォーマットでどこ か(日本では早稲田か。おそらく、ここから多くのデータが、意識しているかしていないかは、別にして、データが流れているにちがいな い。)にあれば、そこ から、世界中のあらゆる図書館にデータが供給可能である。

このデータの共有化は、メーカーのシステムは変更になっても、変わらぬ機能であるため、蓄積したデータは、その後も使われいくこと ができる。


by kimito KUROSAWA (12/11/2000)