黒 澤公人の コーヒーブレイク 人名について

「一次情報ダイレクトアクセス」時代、「検索即閲覧」時代のドキュメンテーションシステムのあり方を考える。
黒澤公人のコーヒーブレイク 名前をめぐる諸問題


日本における個人の名前はどのように認識されるのか。

一人の人間で、一番多くの名前をもった人間は、おそらく、豊臣秀吉ではないかと思う。
彼は、いったい、いくつの名前をもっただろう。
幼名は日吉丸、木下藤吉廊、羽柴秀吉、平秀吉、藤原秀吉、豊臣秀吉。 6つの名前をもっている。

現在、一番、名前を変えるのは、相撲の力士や落語家、歌舞伎役者なのである。

逃亡者などというのもあるかもしれないが。

実は、日本において、名前とは、その人をあらわす名前として、存在していないのではないかと思う。

なぜ、昔の人は、個人を表す名前といより、個人の役職、地位を表すのに使用しているのでは、ないかと思う。
そして、現在も、豊臣秀吉のように、○○係員に始まり、○○主任、係長、課長、部長といった名前を変えつづけながら、生きているので はないか。
決して、個人を識別する、固有なものといったことで、名前が使われていないのでは、ないかとも、思ったり、するのだが。


名前にもっと、意味を感じるなら、テロの首謀者といわれるビンラディン氏をあれほど、別々な呼び方を平気にしたいりしないのではない かとおもう。
日新聞は、ラディン
読売新聞は、ビンラーディン
日経新聞は、ラーディン
毎日新聞は、ビンラディン
と四社四様で、平気につかっており、それを改める気配もない。
名前なんて、どうでも、いいらしい気がしてきた。